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土が取り持つフシギな縁 [感謝!]

最近、「土」にまつわる仕事が増えている。思えば、物心ついた頃から、土いじりばかりしてきた。私にとって土は馴染み深い人生のパートナーだとつくづく思う。

小学校にあがる前は、毎日泥ダンゴを作って遊ぶのが日課だったし、自他ともに認める、ダンゴチャンピオンだった。砂だけではダンゴはできない。砂に粘土を混ぜ、適量の水を加えて手でこねていく。水加減も固いダンゴを作る重要な要因である。多すぎても、少なすぎてもいけない。このダンゴを土の中に埋めて養生する。次の日にそれを掘り起こして、表面を手で磨くと、黒光りした立派な泥ダンゴが出来上がる。そうして丹念に作った泥ダンゴを手で持って相手のダンゴの上から自由落下させ、お互いの固さを競い合うのである。ダンゴ同士が衝突し、壊れた方が負けという単純な勝負である。このゲームの私はチャンピオンだった。ときには、泥の中にセメントを混ぜ、カチカチに固まるダンゴを作って、勝負した。これはイントキということで、相手の怒りを買ってしまったが・・・

小学校の頃は、自宅の庭に大きな穴を掘り、落とし穴を作って遊んだりしたものだ。また、近くの工事現場の資材ヤードに大きなヒューム管が置いてあった。そのヒューム管の中で原始人ゴッコという遊びをしたことも楽しい想い出のひとつだ。近所の瓦礫から、スレートのカケラやら石ころを持ち込んで、ヒューム管に押し付けて削り、矢じりを作って遊ぶのである。

田んぼや川原、あるいは沼地で昆虫や魚を取って遊ぶことが田舎に行く楽しみのひとつだった。毎日泥だらけになりながら、母屋に戻ってくると、母親が私の洗濯がいつも大変だとこぼしていたことを思い出す。

中学に入るとさすがに泥遊びはやらなくなったが、理科の実験や美術の粘土細工に結構燃えたものである。高校時代は、ひたすら山登り。いま頃の季節、フカフカした落ち葉を踏みしめて仲間と山道を歩くのが何よりも楽しかった。土と木という自然の美しさ、素晴らしさに目覚めたのもこの頃だったと思う。

その流れを継いで、大学では土木を学び、土質工学を専攻した。泥ダンゴの作り方が、学問的にも理にかなったものであったことを改めて知った。土と長年付き合ってきたなかで、肌で経験したことが学問を学ぶ上でも役に立った。そして、一言で土といっても、その種類や性状、扱い方、土がそこに存在する歴史的・地理的生い立ちなど、非常に奥深い世界があることを知った。ますます、土に愛着が湧いていった。

会社に入っても、海のヘドロや山の岩、あるいはトンネルの土をどうやって取り扱うかで試行錯誤する日々が続いた。今度は設計や現場という仕事を通して土と接する機会に恵まれた。土の扱いをひとつ間違えると、大事故につながったり、余計なお金がかかったりする。逆に、土を見方につければ、驚くほど安価に目的の構造物をつくることも可能となる。土の気持ちがわかるエンジニアになろうと思った。


そしていま、土ではない廃棄物からいかにして無害な土をこしらえようかと、悪戦苦闘、試行錯誤の連続の日々を続けている。


何かわからないが、前世から土との付き合いが深かったに違いないと確信している。これも何かの因果応報なのだろう。土を通して知り合った仲間や先輩、あるいは後輩とは、何故か長く深いお付き合いが続いている。土が取り持ってくれる縁に改めて感謝したい。土を通した地下のネットワークがどんどん広がっていく。その先に新しい世界が開けていく予感がする。

草の根活動とはまさにこのことなのではないかと思う今日この頃である。

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<和尚のひとりごと>
  ★★★ 土に感謝! ★★★

<キーワード>
  ・土の気持ちになって考える
  ・土職人を目指せ!
  ・夢はでっかく、根は深く
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