SSブログ

今井先生の追憶(4)―大学院時代に受けた薫陶― [感謝!]

横浜国大大学院時代の2年間は、私の青春の黄金期と呼ぶに相応しい充実した生活を送ることができた。その生活というか人生の中心に今井先生がどっかりと座し、24時間体制で今井先生からの薫陶をありがたくお受けした。

ときには、今井先生のお部屋で、
ときには、土質実験室(恒温室)で、
ときには、上星川の居酒屋(養老の滝、大七)で、

ときには、わたしの二俣川の下宿先で、
ときには、今井先生の厚木のご自宅で、
ときには、学会の全国大会の旅先で、
・・・・

いまこうして思いおこしてみると、なんと多くの貴重な時間を私たち学生(特に私)に惜しみなく割いていただいたことかと、改めて感謝の気持ちで一杯になる。

今日は、そんな黄金時代の思い出を振り返ってみたい。


今井先生が横浜国大に赴任されて、まず着手されたのが、土質力学の本の執筆である。続いて、土質試験法「通称赤本」の改訂作業に携わっておられた。
この2つの仕事に多くの時間を費やされ、その中での発見や苦労話を酒を肴によくお話いただいた。本の執筆の成果は、昭和60年に鹿島出版会から「わかりやすい土の力学」の出版に結びついた。また、赤本の改訂は、平成2年3月に「土質試験の方法と解説」として土質工学会(現在の地盤工学会)から出版された。いずれの成果も私の大学院時代(昭和57~58年度)よりも後に日の目を見ることになるのだが、この2つの大きな成果の中に今井先生の人生観というか、研究者・教育者としての今井哲学の本質を見る思いがする。

その本質とは、「素材を最大限に活かす職人気質」だ。少なくとも、私の受けた一番の薫陶はこの気質だと思う。

「わかりやすい土の力学」の冒頭にその本質の背景が示されている。少し長いがその部分を引用する。

私のとっての最上武雄先生は、単なる学問上の師であるに留まらない人生の恩師である。その最上先生が昨年11月に土質工学会九州支部に於て、「土質力学の流れ」という特別講演をされた。(中略)

その内容には深く考えさせられる処が多かったのだが、「成る程そういう事だったのか!」と合点のいった事もある。

そのひとつに、テルツァーギ型土質力学の体系に異質な2部門がある、という指摘がある。一方の部門は、自然に堆積したままの地盤に対して発展してきた土質力学の分野で(これを先生は土質力学のA部門と仮称している)、他方は、締め固めたりなどして土に手を加え、材料として土の性質を人為的に改変しコントロールする場合に対する土質力学の分野である(土質力学のB部門)。

この区分法に従うと、本書はまさに土質力学のA部門のみを扱ったのであって、B部門を扱わなかったことになる。実のところ、本書の初稿には第3話として「材料としての土―分類と締固め―」が入っていた。ところがどうにも場違いな感じがしたので、第2稿の時にはそれを収めないことにしたのである。その時の場違いな感じをそれ以上追及しなかったのだが、今では成る程そうだと納得している。


今井先生の本音がここに集約されている。本には、B部門の土質力学を「場違いな感じ」という当たり障りのない表現に留めているが、先生はA部門の土質力学をこよなく愛し、B部門の土質力学を敬遠したのである。もっと言えば、土質力学に留まらず、先生の人生哲学そのものがA部門を嗜好したといっても過言ではないだろう。すなわち、土に対しても人間に対しても自然にある姿(素材や資質)をそのまま活かすというスタンスが今井先生の一貫したスタイルだったと言える。

教育者としても研究者としてもまったくその軸がぶれることはなかった。

先生の常日頃からの言動をいくつかピックアップしてみる。

 「人間にはそれぞれに持ち味がある。
  その持ち味を活かしてこそ真の教育者だ」

 「材料としての土質力学をわたしゃ好まないね。
  最近じゃセメントなんかで固化する手法が多くなってきた。
  そんな腕力にものを言わすような手法は性に合わない。
  セメントなんかでガチガチに固めてしまうと、土の本来の
  フレキシブルな特性が台無しになっちまう」

 「土でも人間でも、相手の立場で考えてみな。
  自分が土になった気持ちで、考えると理解が深まる。
  医者で言えば、臨床医だな。
  町医者が患者によってその処方箋を変えるように土と
  接しないと、土質力学の本質を見極めることなどできない」

 「土も人間も多種多用だ。それを一緒くたに扱ってもうまく
  いかない。優秀なエンジニアとは、そのことをちゃんと
  わきまえた人間だ。人間としての幅が大切なんだ」

こんな言葉を繰り返された。


今井先生の恩師は、東京大学の名誉教授・最上武雄先生である。

実は、今井先生のこうした思想は最上武雄先生から受け継いだものだということが、「わかりやすい土の力学」に端的に示されている。「わかりやすい土の力学」の最初に「すいせんの言葉」として最上先生は次のようなことを記されている。

今井五郎君が土質力学の本を書くから原稿を見て呉れと言った。
よし来たと引き請けたものの、考えて見ると中々難しい。

大体本と言うものは著者の分身である。その一部でも勝手に
変えることは、例えば著者の手をもぎとって俺の手に付け変えろ、
足もこの足の方が良くはないかなとちぐはくなお化けを作って
了うようなものである。

だから、今井君から原稿を見せられた時には、着ている物の
形とか色には若干の注文を出し、その手のここは怪我をしている
ようだからこんな薬をぬって置いたらどうだろうという位の
ことは述べたが、彼の生身には傷を付けないように注意した。


A部門的アプローチの思想・・・それは、最上先生から今井先生に着実に受け継がれているのである。

今井先生は、心から最上先生を敬愛しておられた。何か事あるに「最上先生」という言葉が発せられた。私自身は、今井先生に連れられて、最上先生に2度ほどお会いしたことがある(というか今井先生の脇でじっとお二人の含蓄のある対話をお聞きしただけだが)。

最初は、東京の青山にある最上先生のご自宅にお邪魔した。このとき、先に示したA部門・B部門の土質力学についての話を伺ったと記憶している。そして、このとき、はじめて大学というアカデミックな世界での師弟関係の絆の深さを知った。普段の今井先生とは、全く別人のようだった。大先生の前では今井先生もかわいい生徒となっていた。そして、恩師と愛弟子の強い信頼関係を直に目の当たりにするなかで、私もそうした仲間入りたいという思いがよぎった。

2度目にお会いしたのは、最上先生が日大を去る(最上先生は東大を定年退官後数年間日大に在籍されていた)ときに、御茶ノ水にある日大理工学部にお邪魔したときである。このとき、最上先生からいただいたテルツァーギ&ペックの土質力学の本はいまでも私の書斎に大切に保管されている。

最上先生が東大の土木工学科で教鞭をとっていたころ、定年前の最後の教え子が、今井、國生、吉越、小林、龍岡、垂水、徳江(敬称略)といった方々である。この数年の間に多くの優れた研究者や教育者あるいはエンジニアが輩出されている。その末裔に私もいるのだという意識をこの当時強く持った。


私の大学院時代の今井先生の講義では、まだ「わかりやすい土の力学」が出版されていなかったこともあり、その内容はまだまだ体系だっていなかった。
「あの頃の講義はひどいもんだった」と今井先生が本音を漏らしていたことをいまでは懐かしく思い出す。そういう意味では、私たち一期生はあくまでも実験台になったと言えよう。しかし、その実験台として職人気質の今井先生が試行錯誤を繰り返されて、「わかりやすい土の力学」を出版されたことを思えば、それはそれでいい時代だったとも言えよう。

この本には、今井先生の思想のエキスがたくさん詰め込まれている。私のとっては、学問的なベースだけでなく、ものの考え方の基盤を形づくる一冊となった本でもある。

わかりやすい土の力学

わかりやすい土の力学

  • 作者: 今井 五郎
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1983/01
  • メディア: 単行本

この時代は、先生と頻繁にお酒を飲み、その中でさまざまな人生訓を説いていただいた。そのなかでいまでも続いている習慣がある。それは、多くの本をよく読みなさい、という教えである。とくに、新書を読むことを強く勧められた。電車の中で気軽に新書を読む習慣は、このときから続いている。

 

こうしてまじめな話ばかり書いていると、当時の私がすごくまじめで勉強や研究ばかりしていたと思われてしまうかもしれない。しかし、実のところそうでもなかった。当時は、横浜や渋谷、あるいは六本木に繰り出し、パブやディスコに夜な夜な徘徊する軟派な面も持ち合わせていた。そんなことがきっかけとなり、よく研究室にお付き合いしていた彼女を連れてきた。そのたびに、今井先生から辛口の評価が下される。

 「挨拶もろくにできないような女を連れてきちゃいかん!」
 「彼女の目に、落ち着きがないな」
 「あれは、いかん。やめとけ」
 ・・・・

まあ、私の彼女だけが批判に曝されたわけではないが・・・


今井先生から受けた薫陶が間違いなく私の中で息づいている。それは、横浜国大を離れてからより色濃くなったと思う。


そのあたりのことを次回は記したい。

--------------------------------------------------------------
<和尚のひとりごと>
  ★★★ 素材を最大限に活かす職人気質 ★★★

<キーワード>
  ・土になった気持ちで考えよ!
  ・わかりやすいとは、簡単なことではない
  ・苦しくも、楽しい日々
--------------------------------------------------------------


 


今井先生の追憶(3)―卒研の頃― [感謝!]

卒研で無事土質研に入ることができたのだが、さて卒研のテーマで何を選ぶのか、というのがひとつ大きな問題となった。というのも、研究棟はとりあえず建ち、実験室もすでにあったのだが、研究するための道具がない。

そう実験装置がないのである。

学生実験で使う圧密試験や一面せん断試験など、ごく一般的な土質試験装置がわずかにあるばかり。かといって、今井先生は数値計算や構成モデルの構築など、机上だけの理論研究を良しとしない。そんなわけで、研究室は研究の対象とする土づくりとその土の特性を調べるための試験装置づくりからはじまった。

今井先生には、大きな目標があった。それは、この研究室で世界の標準となるような粘土の研究の総合システムを作りあげること。特に先生のご専門である「圧密」の分野で他の追従を許さないような研究成果を次々と世に送り出したいという強い思いが先生との対話を通じてひしひしと伝わってきた。そのためにまず、標準粘土なるものを作ろうということになった。

本格的な研究成果は、2期生の片桐さんに引き継がれたが、その口火を切ったのが私と同期の望月さんである。今井研究室で使う粘土はすべて一定の物性なるよう予め試料調整を入念にしかも大量に行うという壮大な計画が立てられた。

最低でも10年は使えるようにしたい!

これが先生の思いだった。

10年ものの粘土・・・この言葉に私はシビレた。

言うのは簡単であるが、実際、このことを実現するのはなかなか難しい。同じ物性を有する粘土を大量につくるにはそれ相当の手間ひまと作成手順の統一が必要となるからだ。そんなわけで、横浜港のとある場所から採取した大量の粘土を大型のポリバケツに入れ、まずはこの粘土から貝殻などの雑物をとる作業から始まった。夏休みは来る日も来る日も細かいフルイで粘土を裏ごしする。ほとんど、その作業に追われた。

先生もちょくちょく実験室に顔を出し、その裏ごしする私たちの姿を見ながら、うれしそうこうつぶやいた。

粘土の裏ごし作業で、粘土というものの性質がよくわかるようになる。含水比(粘土の中にある水の量割合のこと)によって、粘土も七変化する。その変化を手の感覚として徹底的に覚え込ませる。プロの土質屋なら、こうして粘土を触っただけで、含水比や液性限界・塑性限界をぴたりと当てられるようになる。

ハイライトを吸いながら、粘土を手に取り、その粘土をいつくしむように手で揉み解す。まさにその姿は職人そのものであった。


一方、試験装置づくりの方も苦労の連続だった。私の選んだ卒研のテーマは「繰り返し荷重を受けた粘土の圧密特性」。これを繰り返し三軸試験装置を用いて調べるというものであった。もともと土木の学生だった私は、機械や電気のことはちんぷんかんぷん。三軸試験装置づくりを技官として今井研究室に来たばかりの石村さんと一緒に悪戦苦闘した。

東大の生産技術研究所の龍岡先生の研究室にお邪魔して、三軸装置の図面を技官の佐藤さんから譲り受け、また三軸装置の使い方については、助手の山田さんから手ほどきを受けた。持ち帰った図面は、大学の機械工学科の中にある試作室を利用して石村さんに作っていただいた。荷重計(ロードセル)などのセンサーをピックアップするアンプも手作りした。この部分は、研究生として大学に詰めていた長妻さんからいろいろと手ほどきを受けた。とにかく、見よう見まねで装置づくりをしているうちに、あっという間に秋から冬に突入した。卒研をまとめ、提出する時間がみるみると少なくなっていった。

こうして大量に作った標準粘土で、今まで部分的にしかスポットが当てられていなかった圧密やせん断の問題が、もっと体系だてて研究できるようになる。その基礎固めがいまは何よりも重要だ。ここで手抜きをしたら、何にもならない。
研究とは、総合的な学問だ。だから、いろいろな問題に直面する。その問題をどう解決するか、そのアプローチが重要なんだ。どうだ、大学の講義なんかよりよっぽど面白いだろ?


私たち卒論生は、一日も早く、カッコイイ研究に取りかかりたいと思うのだが、今井先生はそれをなかなか許さない。ひとつひとつ関門をクリアーした者だけが、次のステップにすすめる。とにかく、ネジの締め方から、道具の使い方まで、徹底的に基本を叩き込まれた。

そして、全自動とまではいかないもののなんとか、半自動で繰り返し三軸試験が動くようになったのは、もう12月の半ば過ぎだったと記憶する。

試験装置.jpg

  【完成した繰り返し三軸試験装置】

その日は、いつものように今井先生と上星川の駅前の「養老の滝」で湯豆腐を肴に日本酒で乾杯した。この日本酒とタバコと豆腐を交えた先生との対話(相談、報告、そして指導)がこの頃の日課となった。

酒を飲んだあとに、大学に戻り、また実験を続けた。守衛が夜見回りに来る。そのときは実験室の明かりを消し、恒温室で細々と作業する。夜中、寝袋で仮眠して、また朝から実験に取りかかり、その結果をまた今井先生に報告する。そんな生活が、卒論提出間際の2月ころまで続いた。


私にとって、もっともしんどかったのが、卒論のとりまとめである。そしてプレゼンテーションである。研究や実験は自分なりにはかなりできるという自信はあったが、その成果を文章にまとめることが大の苦手だった。最初に提出した卒論のドラフトを先生に診ていただいた。次の日に、その一ページ目が真っ赤に修正されて返ってきた。

先生曰く、

お前さんねえ、文章下手だね。とにかく、文章がくどい。主語と述語の使い方がデタラメ。一つの文章が長すぎる。言葉の定義があいまい。事実と推察を混同している・・・。とにかく、これは人に読ませる文章じゃないな。一ページ目を修正してたら、後を見るのがイヤになっちゃった。これもういっぺん全部書き直しだな!

ぴしゃりと言われてなすすべもなし。。。

先生に修正していただいた文章をできるだけ真似て書く努力を何度もした。先生の学位論文が私の教科書となった。いま、こうして文章を書くことが苦にならないのは、先生の指導によるとこと大である。ただ、文章がくどいのは相変わらずだが。。。

そして、卒論の発表会のことも忘れられない。

卒論のまとめでぎりぎりまで時間を使ってしまい、卒論の発表の準備もほとんどしていなかった。さらに大勢の先生の前で、話をするのはこの時が初めてだった。

 いきなりの緊張感・・・
 そして準備不足・・・

5分の発表時間が地獄の時間に思えた。
質疑応答もしどろもどろだった。
・・・・


結果は散々だった。


5分で終わらねばならないところを、3分以上オーバーして、いかも、「もういい!」のダメだしまで与えられて・・・


発表会のあと、先生を囲んで一杯やった。

(私の方を見て)いやー、土質研の発表が一番出来が悪かったなあ。でも、中身はまずまずだったんじゃないかな。苦労すればするほど、人間に幅ができる。それもまた良しだ。今日はおつかれさんでした。美しい国土づくりの一歩がスタートしたことを祝って・・・・乾杯!

いつもは厳しい口調の先生が、このときはことの外優しかった。卒論という一つの大きな作業を通じて、その苦しさ面白さにますます惹かれていった。

卒業後、そのまま大学院に進んだ私は、ますます今井先生の薫陶をより深く受けることになる。

顔写真(私).jpg
誰、この人・・・当時の私です(恥)


 ------------------------------------------------------------------
 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 基礎が大事だ ★★★

 <キーワード>
   ・研究の面白さ
   ・徹夜に明け暮れる日々と「養老の滝」通い
   ・文章にまとめる苦しみとプレゼン下手
 ------------------------------------------------------------------


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

同窓会(二次会) 今井門下生のDNA [感謝!]

1年に一度だいたい今頃の時期に大学の同窓会がある。

これまで何回か同窓会には出席したが、正直面白いと思ったことはなかった。先生への近況報告とあとの話し相手はいつもの限られたメンバーばかりというワンパターン。このマンネリ感に嫌気が差し
、このところずっと欠席していた。

こうしたマンネリを打破すべく、今年から同窓会を2部形式に変えるという案内状が1ヶ月ほど前に送られてきた。1部は全体の集会でここはさっと流し、そして2部で研究室単位の懇親会を開き、より濃い情報交換の場を作り出そうというのが狙いだという。

わが土質研(いまは地盤研といっているようだ)の集まりは、恩師の故今井五郎先生の「偲ぶ会」を兼ねるという。であるのなら、今回は是非とも出席したい。

そんなわけで、久しぶりの同窓会に出席することにした。

ただ、今日は午前中どうしても片付けなければならない仕事があり、午前中で終わらす予定だったが、思いのほか時間がかかってしまい、作業が片付いたのが午後2時過ぎ。結局、午後6時からの2次会のみ出席することにした。

埼玉から2次会の開催される横浜中華街まで、約2時間の道のり。湘南新宿ラインのグリーン車で本を読みながら、そして、ときどきどんな
メンバーが出席するのか、あれこれ想像しながらゆったりとした時間を過ごすことができた。

そして、中華街へ・・・

IMG_4271.jpg



土曜日の夕方ということもあり、かなりの人ごみである。

メインストリートを進み、目的地の中華料理屋に向かった。

IMG_4275.jpg


宴会場に向かうと、懐かしい顔ぶれがすでに集まっている。久しぶりに会う仲間、後輩達と今井先生との想い出話で大いに盛り上がる。


宴たけなわになるなか、今井先生の想い出スピーチタイムが始まった。そのトップバッターは、衆議院議員の「まぶちすみお」君だ。ご存知、昨年末の耐震偽装問題の国会証人喚問で「指示しているじゃないですか」という名セリフで一躍有名になった民主党の国会議員だ。

彼は、土質研の3期生。私は1期生で大学院に進んだため、M2と学部4年という関係で、同じ研究室で行動をともにした間柄である。彼とは、今井先生の告別式のとき以来だが、このときにほとんど話をすることができなかった。今回は同窓会の先輩・後輩という立場で、隣の席に陣取って、大いに昔話で盛り上がった。

IMG_4278.jpg

そして、今井先生のエピソードを披露してくれたのだが、さすがは国会議員である。声はよく通るし、話はわかりやすい。そして、噂どおり?目が鋭い!(笑)。

「今井先生から『おまえさん、まだまだ若いのう』なんて言われてました」と笑いもきっちり取る。メリハリのあるスピーチに会場内、割れんばかり拍手喝采。一同、まぶち氏の迫力のあるスピーチに魅せられてしまった。

やはり環境が人間を育てるのだな、と改めて感じた。二十数年前、研究室ではそれほど目立つ存在ではなかった彼が、こんなにも目が輝く、大志を抱く政治家になろうとは思いもよらなかった。

話を聞けば、彼はゼネコンの研究所に5年ほど勤めた後、コンピュータソフトウェアの会社で丁稚奉公のような生活を経て、単身アメリカに乗り込んだのだそうだ。こうした経験が彼の精神力を骨太なものにしたのだろう。とにかく、大したヤツだと改めて感心した。


先輩・後輩の仲だということで、ツーショット写真も快諾いただいた。

IMG_4279.jpg


馬渕君以外にも、懐かしいメンバーと久しぶりに再開しお互いの近況を報告しあった。海外で活躍したまたま一時帰国しているもの、現場でがんばっているもの、田舎の建設会社で親の家業を継いだもの、公務員として地域の中でインフラ整備を確実に進めているもの、研究機関で地盤工学の研究に携わっているもの・・・。

みんなそれぞれの人生の中で、今井五郎先生という素晴らしい教育者を介して有機的につながっていることを実感した。今井五郎先生は亡くなられたが、今井先生の撒いた種がそのDNAを受け継ぎ、確実に育っているのだ。私もDNAを受け継いだ一人である(と思う)。そのことにただただ感謝である。

【合掌】

話が尽きず、ついに3次会まで繰り出して、結局この日は、埼玉の自宅にはたどりつけなかった。東京の実家に、たどり着いたのは、午前0時を回っていた。

実家では、昨年亡くなった祖母の新盆。
ここでもお線香を立て、手を合わせた。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ハイウェイ・スターでフラッシュバック [感謝!]

先日の夜、高校時代の同級生SSから電話をもらった。

正確にいうと、直接電話をもらったのは小学校時代の
生徒会仲間で同じ高校のクラブ(ワンダーフォーゲル部)
の仲間でもある友達のYKからの電話に替わって
出てきたのがSS氏であった。

SSとYKは大学のサークルが一緒で、その
仲間とともに酒を飲んでいたのである。

ちょっとややこしいので整理すると・・・

YKと私は、小学・高校が同窓の幼なじみ。
SSと私は、高校のクラスメート。
YKとSSは、高校と大学のご学友。
3人とも同じ高校で、ハードロック大好き人間だった。

さて、前置きはこのぐらいにして・・・



そのSS氏が電話口に出るやいなや、いきなり
ディープ・パープルの「ハイウェイスター」を歌い出した。

まさにライブパフォーマンスだ。

私が高校時代ハードロックが大好きで、よくディープ・パープルや
レッド・ツェッペリンの曲を休み時間や放課後、YKやSSとともに
コピーしたのである。

私はギターが下手だったので、いつもボーカルを担当。
というか、雄叫びの部分だけシャウトするというのが
定番だったが。


その約30年前の放課後の絶叫シーンが鮮やかに蘇る。


このSS氏、これまで都内でタイ料理店を営んでいたが、
思うとことあって、盛岡に戻ることになったという。

なんだか急な話でさびしい限りだが、本人至って元気。

まだ、ハイウェースターを絶叫するだけのパワーを十分に
持ち合わせている。


そんな彼に、
「お前元気ないぞ!!」
と大いにハッパかけられた。


「なに、痛風!? 贅沢病じゃないか。
もう年寄りみたいなこというなよ!
今度東北に山登りにくるときには是非声をかけてくれ
また一杯やろうぜ!!」

・・・・
返す言葉がなかった。

正直ここのところ痛風の後遺症で、酒も飲まず家で
おとなしくしていたときだっただけに、この友人から
の一言はかなり堪えた。


そうだな・・・


こんな年(46歳)で、オジンくさいこといってちゃダメだぜ。

ディープパープルやレッドツェッペリンをボリュームいっぱいに
上げて聴き、そして歌いたい(雄叫びのように絶叫する)!!

そんな衝動がこみ上げてきた。


次の日、最初に電話をかけてくれたYK氏から次のような
メールをいただいた。

昨夜は唐突のお電話でご無礼いたしました。

うまく伝わらなかったかも知れませんが、
SSが今までやってきたタイ料理屋を閉めて
岩手の親元で暮らすことになり、
その最後に大学時代のサークル(放送研究部)仲間
で集まってやっているうちに、ふとあなたに電話して
みようということになってしまった次第でした。

しかし、前のメールを探していたら、この前は
もう2年前だったのですね。。。

お婆さんの葬式の時には擦れ違ってしまいましたが、
また機会を作って会うようにしましょう。

早くカラダ直してください。
お大事に。 




最近、やけに涙もろい。
また、涙が出てきた。

女房にこの一件のことを話すと、
「そうやった声かけてもらえているうちが花だよ」
だってさ・・・

昨日のブログのように会社では、最近沈みがちなことが
多いが、こうして気をかけてくれる仲間もいることには
感謝・感謝・大感謝である。

そんなわけで、今日はこれからディープ・パープルや
レッド・ツェッペリンをレンタルショップで借りてきて
ギンギンな気分になりたいと思う。

Made In Japan: 25th Anniversary Edition

Made In Japan: 25th Anniversary Edition

  • アーティスト: Deep Purple
  • 出版社/メーカー: Emi
  • 発売日: 1998/01/19
  • メディア: CD

Led Zeppelin IV

Led Zeppelin IV

  • アーティスト: Led Zeppelin
  • 出版社/メーカー: Wea International
  • 発売日: 1994/07/19
  • メディア: CD

nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

生かされている~恩師との別れ [感謝!]

昨日は、恩師今井五郎先生の告別式。
最後のお別れの挨拶として弔辞を読まさせて
いただいた。

告別式のあと、久しぶりに会う先生方や先輩、
後輩、同期の仲間と一杯やった。

まさに先生あっての皆さん方である。

今井先生とお会いして、すでに27年近い歳月が流れている。
先生とお会いできたことに改めて感謝である。

弔辞でも触れたが、人間が生きているということは、
それだけで、奇跡のような生命を有していることである。

その生きている人間と人間の出会い、お互いに魂を磨く。
あるいは恩師と師弟関係を貫く。これはまさに「奇跡」の
出会いという他はない。

そう考えると、我々人間は、生きているのではなく、
限りない「恩」の中に「生かされている」と考えた方が
むしろ自然だ。

「恩」という字は、「口」と「大」と「心」から成り立っている。
「口」は環境、「大」は人が手を伸ばしている姿である。
何のおかげでこのようにこのように手足を伸ばしておられるのか、
と思う心が、“恩を知る”ということである。
 (以上、致知2006年2月号、p7より)

「我々は天地の恩、人間の恩、道の恩、教えの恩など、
 あらゆる“恩”の中にあります。これに絶えず報いていくのが
 生活であります」
とは、安岡正篤師の言葉だ。

深いと絶えることのない

そのことを深く感じる一日であった。

今井先生は、満60歳の12月31日にこの世を去った。
私は同じ年齢を迎えるまで、あと14年。
この14年間で何ができるのか、いま思案している。

なお、今井先生の告別式については、
次のブログやメルマガにも紹介されている。

napoさんの那須的生活
まぶちすみおの「不易塾」日記


nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

人生は素晴らしいものだ [感謝!]

タイトルの本を読んだ。

人生は素晴らしいものだ

人生は素晴らしいものだ

  • 作者: オグ・マンディーノ
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2005/07/01
  • メディア: 文庫


これで2回目である。
読むたびに感動を覚える。
内容を紹介することはここではしないが、よくできた物語だ。

ここでは、そこに示された成功のための10の智恵を記そう。

第一の智恵
 日々熱心に仕事に取り組みなさい。
 その働き方があなたの未来を決定する。

第二の智恵
 忍耐によって
 運命を支配できることを学びなさい。

第三の智恵
 航路を明確に海図に書き込みなさい。
 漂流者とならないために。

第四の智恵
 陽光の中を旅する間に
 暗闇に備えなさい。

第五の智恵
 微笑みをもって逆境に立ち向かい、
 屈服させなさい。

第六の智恵
 行動なき計画は
 消え去る夢にすぎないことを悟りなさい。

第七の智恵
 心にかかったクモの巣を一掃しなさい。
 それが心をふさいでしまう前に。

第八の智恵
 荷を軽くしなさい。
 目的地に到達できるように。

第九の智恵
 心にかかることを、今、行いなさい。
 それができるうちに。

第十の智恵
 他の何者かではなく、
 自分自身であるために努力しなさい。

感動をありがとう。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

いい天気! [感謝!]

この2日ほぼ、徹夜状態が続いた。
昨日も早く寝ようと思ったのだが、
いろいろやることがあり、気がついたら午前0時をまわっていた。

一杯やりながらTVのスイッチをオンにすると、
ちょうどNHKでプロジェクトXが始まったところだった。
町工場のオヤジがオートバイレースで世界のホンダに挑む。
この番組を食い入るように見てしまった。
途中から、自然に涙が止まらない。

そんなことで、今日は久しぶりに朝寝坊。
朝起きたら、抜けるような青空。
そしてさわやかな秋の風。

いろいろなことが次々と目の前に現れる。
でも、この場をどう乗り切るか、
そこの生きることの意義があるように思うのだ。

今日も一日、ガンバンベイ!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

暑さから脱出!! [感謝!]

午前中で仕事を終え、いま旅の支度も終え一段落。

実は今日から3泊6日(機中2泊!)のオーストラリア・パースの
旅に母親と出かけてくる。

海外旅行は、仕事で出かけたアメリカ以来だらか
やく4年ぶりか・・・今回は完全にOFFツアーなのだ。

こんな平日に海外なんてと思われるかもしれないが、
これがまたとないチャンスだと思ったので、思わず
ツアー参加を決めた。

会社の仲間には迷惑をかけてしまうが、
その分、旅の収穫も大きくしたい。

今晩成田を発ち、明日の早朝パース着。
そこから強行軍が始まる。
といっても、一都市滞在型でホテルの移動もないし、
ナント行ってもパックツアーなので、ホントお任せでラクチンである。

旅行カバンも、何ももっていくものがないので、スーツケースは
やめて普通のスポーツバックに収まってしまった。

簡単に予定を記しておく。

15日 パース市内観光
16日 ピナクルズ・バスツアー、バーベキューと星空見学
17日 スワンバレー・ワインクルーズ、さよならパーティー
18日 ロットネスト島観光ツアー、夜パース発
19日 朝、成田着

こんな感じだ。
ピナクルズ、星空、ワインが観光の目当て。
それに、読書と音楽(iPod)でリラックスしたい。
さらに最大の目的が母親孝行である。

それでは、行ってきま~~す!


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

海外旅行説明会 [感謝!]

9月14日から9月19日まで、オーストラリアのパースに旅行する。
これまで海外には何度か仕事の出張で出かけたが、いわゆる
ツアー旅行は今回が初めてだ。

実は、2ヶ月ほど前、私の兄嫁がデパートの地下街で食事をして
くじを引いたら「海外旅行をペアでご招待!」という特賞に当選した。

当初、兄夫婦で旅行するとこを検討したのだが、兄の仕事の都合で
それは断念。いろいろ思案した末、最終的に私と母親の二人で
パース旅行に行くことになった。

母親と二人で旅行に行くなんて何年ぶりだろう。
多分、幼稚園の遠足以来だから、実に40年ぶりか・・・

上さんの両親がこのところ具合が悪く、こうした状況を見ていると
なんだか母親が元気なうちに親孝行しなくちゃいけないな、
なんて考えて今回の旅行に踏み切ったわけである。

この夏は娘が同じオーストリアのアデレードというところで
2週間ほどホームステイしてきた。
なんだか、今年はオーストラリア付いている。

その旅行説明会が昨晩開催された。
総勢二十数名の団体旅行である。
ツアー参加者の大半は女性。
男は、主催者側から二人、招待者側から私を含めて三人。
老若男女の珍道中という感じになろうか・・・

9月の中旬のパースは冬から春に向かう季節である。
とてもきれいな町だそうだ。

いま仕事で仕掛けている案件がいくつもあり、
本当なら海外旅行なんて行ける訳ないだろう!
なんてお叱りを受けてしまいそうだが、これもまた何かの縁。

旅行前後で、とにかく仕事をやっつけて、
向こうにはパソコンや携帯も持たずに、
完全ゼロクリアーでリフレッシュの旅に出かけよう。
(会社の皆さん、ご迷惑をおかけします)


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

もうひとつの豊かさを求めて [感謝!]

行き詰まった物質的な豊かさの果てで、徐々にもうひとつの
豊かさが回復する感覚・・・

それは、人との交流を通じた愛情とか、
あるいは満ち足りたひと時とかだ。

続きを読む・・・

豊かさとは何か

豊かさとは何か

  • 作者: 暉峻 淑子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1989/09
  • メディア: 新書


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:仕事

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。