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教育者のコミュニケーション力 [関心事]

昨日紹介した「一日で自分を変える法」のなかで教育の話がでてくる。その部分をちょっと引用する。

教育における最大の悲劇は、教師に自分が教える「教科」についてはよくわかっているのに、「生徒」のことは何もわかっていないことだ。優秀な教師なら、本能的にペーシングとリーディングのことを理解し、ラポールを築くことができるので、メッセージを生徒に伝えられる。教師の中には、生徒の飲み込みが悪いのは「生徒の学習能力の問題だ」と考えている人もいる。しかし、コミュニケーションで一番大切なのは、「伝える内容」ではなく、「相手からどんな反応を引き出すか」なのだ。(中略)ラポールを築くことのできる教師こそが、優秀な教師となり得るのだ。


この話の後に、次のような事例が紹介されている。

あるクラスで、生徒たちがいたずらを思いつき、午前九時きっかりに全員で教科書を床に落として先生を驚かせようとした。件の教師は、まさにその瞬間にチョークを置き、自分の持っていた教科書を床に落とした。そして「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃったわね」と言った。その後、生徒たちは先生の言いつけをよく守るようになったという。

先生が生徒と同じ行動をしてラポールを築くことで信頼関係(この場合は仲間意識)が生まれたのだろう。この事例の意味するところはとても重要だ。教育者として生徒に教育する前にラポールを築き、コミュニケーションを円滑にすることでその後の指導がよりスムーズに行われるというわけだ。

私の知り合いにも多数の教育者がいるけれども、その多くがコミュニケーション能力に長けているとは思えない人が驚くほど多いように思う。あくまでの教師と生徒という上下関係のなかで、上から一方的に下に見下すような態度、言葉遣いをする人が多いのだ。極端な人だと、人に向ってしゃべるのではなく、かぼちゃにでも向ってしゃべるような校長もいる。教師の資質としてのコミュニケーション力がもっと問われてもいいのではないか。もちろん、そうした能力の高い教師もいるが、こういう人は得てして学校内ではマイナー派に属する。

先日紹介した「共感力」にも出てくる、縦ではなく横の関係・・・
決して教師と生徒が同等だと言っているのではなく、
教師と生徒との関係が上から下への一方通行ではない関係。
権力や権威や肩書きや地位とは別の力で、
どこまで相手に影響を与えられる関係、そして先生と生徒との共感。
言葉や知識を超えた感情や感動、感覚や感性をも自由に共有できる関係。
先生が生徒に共感を求めるのではなく、
生徒からの共感を得る前に、まず、自らが生徒に深く共感する。
しかも、決して媚びたりするのではなく、あくまでも自然な形で・・・
そんな関係が教育者にも求められているのではないか。

ちょっと別の見方をしてみる。

人を説得するときに、相手を納得させることが本来の目的である。しかし、説得すれば必ず納得してくれるかというと、それほど甘くない。相手の納得の仕方を理解していないとうまく行かないことが多いと思う。説得する側のストーリーや強要だけでは相手が納得しないのだ。こうした相手の思考回路で考え、そこをベースに働きかけることは、ビジネスでも教育でも親子関係でも同質の重要性がある。20世紀の後半はあまりにもこうした関係が薄れてしまったのではないか。私自身の家族への接し方を含め、まさらながら反省している。

教育者だけではないのだ。
現代はまさにコミュニケーションによる共感力が求められる時代なのである。


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