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ドブ掃除と井戸端会議 [和尚生活]

 

 今日は3ヶ月に一度の町内隣組のドブ掃除の日。
 朝の8時から小一時間かけて、町内のドブを掃除してまわった。

 季節の変わり目、3ヶ月に一度のペースの作業なので、
 次回は年末(12月の第4日曜日)ということになる。

 時の流れはなんと速いことか・・・

 ドブ掃除が一通り済んだので、その勢いを借りて
 家の周り草むしりを始めた。

 この一月でまたまた雑草が膝の丈ほどに生い茂っている。
 時の流れの速さとともに、雑草のたくましさにも
 改めて驚嘆する。

 そんな草むしりの作業の中で、井戸端会議がはじまった。

 「今年の夏の暑さにはマイッタ!」からはじまり、
 「近所の親父さんが急逝した」とか、
 「近所の空き地に建売住宅の計画が遅れている」という情報、
 あるいは、「お互いの家族の健康状態」などなど・・・

 最後は、「とにかく健康がイチバン」ということで散会した。


 都会では、こうした近所づきあいも減ってきているのだろうが、
 私の住んでいるところでは、まだ少しは残っている。

 こうして向こう三軒両隣が定期的に作業を共にすることで、
 連帯意識が生まれているのは確かなことである。


 (それはいい意味でも、悪い意味でも)


 ただ、その近所づきあいの距離感も、微妙に変化してきている。
 同じ班内の高齢化は避けて通れない状況である。

 若い世代がこうした近所づきあいにどこまで着いてくるのか、
 心配な面もある。確かに、私の家の子供たちを含めて、
 若い世代がこうした近所づきあいから遠ざかっているは事実だ。

 そうはいっても、毎日井戸端会議に花を咲かせるほどの
 つきあいがいいものなのか。
 それでは、わずらわしさを感じないわけにはいくまい。

 毎日、おつきあいするわけでもなく、会えば軽く会釈をして
 挨拶をする。

 「おはようございます」「毎日暑いですね」
 「行ってきます」「行ってらっしゃい」
 「ただいま」「おかえりなさい」

 こうした挨拶を通じて、お互いの距離感を確かめ、
 たまにはこうして井戸端会議をする。

 そのなかで、一種の連帯感を持ち、
 ひいては地域に馴染み、溶け込む。

 これができることが、現代社会で順応する
 ひとつの能力でることは間違いない。


 (うちの上さんは、この能力は抜群である)


 この能力の欠けている(あるいは、失ってしまった?)
 人間が世の中に氾濫している。

 (私自身もそのひとりかもしれない)

 (結局、適度の距離感を保ちながら、孤独にはならない
  こういった状況をつくりだすことが生きる術として
  大切なことなのだ)


 そんなことを草むしりをしながら考えた。


 この地に引っ越してきてはや8年。

 やはり住めば都なのだ。


 時の立つ速さとともに雑草のたくましさを感じる中で、
 私たちの家族も、確実にこの地に根付いていると感じた。

 


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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 暑さ寒さも彼岸まで ★★★

 <キーワード>
   ・住めば都
   ・雑草のようにたくましく!
   ・根を生やす
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