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時代認識 [時代認識]






 約1ヶ月ぶりの更新である。


 この間、私的にも企業人としても、大波の襲来を体験した。


 配信を怠ってしまったことの言い訳にはしたくないが、
 正直な話、メルマガの配信やブログの更新をする気に
 なれなかった。


 それほど、心に余裕が持てない日々が続いていた。


 自分の人生にとって、この1ヶ月はシンドイ思いをした
 1ヶ月のベストスリーにはランキングされるだろう。




 今日は、一息ついている・・・




 自分の人生だけでなく、やはり現代という時代が、否が応でも
 大きな変化を要求している時代なのだと、改めて感じる。


 家族の問題、お寺の問題、相続の問題、会社の問題、人間関係の問題。
 仕事上のトラブルや好転や暗転、あるいは市場の変化などなど、
 いま直面している問題は、すべて時代の大きな変化の影響を少なからず
 受けた結果もたらされていると見ることもできる。


 もちろん、ひとつひとつ個々の問題を詳細に見れば、
 それぞれ別の因果応報を探すことはできる。

 そして、そのようにそれぞれの問題を個別の問題として、
 ひとつずつ処理・解決していくことが、日常的には必要だ。


 というか、そうせざるを得ないような状況に追いやられて
 いる自分がそこにいることを今日は再確認した。





 しかし、そういう場当たり的な対処療法では、
 やがて立ち行かなくなることも見えてきた気がする。




 そうした個々の問題を大括りにして、時代の変化という
 大きなうねり(波)ととらえれることがいま必要だと思う




 時代認識





 その重要性に改めて気がついた。



 どのような時代認識で、このような大きな変化に
 どう対処するべきなのか。。。




 今日一日、ずっと考えているのはそのことである。



 もちろん、今までどおり、個別の問題としてひとつひとつに
 対処して行くやり方もありだと思いと、どうも根本的に
 この大きな変化に対処するやり方を変える必要があるのではないと
 いう思いが私の頭で葛藤している。




 仕事のやり方とか、生活習慣の問題ではなく、
 人生の舵取りをどうやって行くのかという大きな生き方の
 変換点に立っているともいえる。


 これまで、徒歩という移動手段しかなかった時代が、
 がらっと変わって新幹線を日常的に利用する。


 例えが悪いかもしれないが、そんな大きな変化が
 自分の生き方に変革を強いているようにも思える。


 逆に、移動するという手段そのものを捨てて、インターネットを
 最大限に駆使して、いかに移動をせずに多くの物事を処理できる
 のかというような発想の転換も必要かもしれない。


 ただ、こういう小手先の手法の変化ではなく、もっと大きな
 生き方とか価値観の変化なのだ。
 (うまく言葉では表現できないが・・・)


 見える人には見え、気がつかない人にはいつまでも気がつかない
 ものなのかもしれない。


 いや、気がついていてもその流れや波に乗れるかどうかは別問題なのだ。
 要は、現実の波や流れを知り、その流れに実際に乗るか乗らないか。
 そのきわどい分岐点に来ている。



 そんな時代認識である。



 昨日お会いしたある人から、25年という四半世紀を経ると、
 その事業の趨勢が見通せる、というような話をしておられた。


 今から20から25年後の将来を見通して、種をまく。
 そんな人生の楽しみ方したいと切実に思う。


 昨日までの1ヶ月、あまりに忙しく、日常のことにとらわれ、
 縛られてきたように思う。


 忙しいという字は、心を亡くすと書く。
 やはり、これではいけないのだ。




 二度とない人生をもっと大切に生きようではないか。





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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 大変化時代 ★★★

 <キーワード>
   ・メンターとの出会い
   ・忍耐力
   ・そして情熱
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