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天寿 [祈り]

 

 


 強い風が吹き続いている。


 わが家の屋上ベランダのラティスも
 この強風で完全に破壊させてしまった。

 

 この一週間は、長いようで短い、短いようで長い、
 そして一生忘れることができない一週間となった。

 

 先週の日曜日の午前10時過ぎ、一本の携帯電話連絡から
 この長い一週間が始まった。

 それは風呂の中で既に息を引き取っている父の姿を
 発見した妻の悲痛な叫び声だった。


 父はお寺の住職。

 2年ほど前に連れ合いの母は他界し、その後は房総半島の
 とあるお寺で、ひとり暮らしの生活を余儀なくされる。

 母が他界してから、父は体調を大きく崩し、みるみる衰弱した。

 妻が月に2~3回のペースで、一人暮らしの父の食料を調達する。
 いわゆる千葉と埼玉を行き来する遠距離介護の生活がはじまった。

 そして、ついひとつきほど前に、母の三回忌の法要を無事済ませ、
 そろそろお寺の住職を引退して、お寺を別の住職にお願いし、
 私たち埼玉の自宅に呼び寄せようと、秘かに根回しをしている
 ところにだった。


 その日(17日)は、近所の法事に出かける予定で、その付き添いに
 妻が埼玉の自宅から千葉の実家に朝一番で向かった日であった。

 今回で最後のお勤めにして、今後は埼玉で私たちとともに
 ゆっくりとして欲しいと私も妻も思い、その説得をすることも
 今回の千葉行きの目的に含まれていた。

 

 風呂場での死亡ということで、警察も入り死因の確認や調査も
 実施された。

 結果的には、脳に異常はなく、溺死でもないことから、ほとんど
 自然死に近い形の心臓発作だろうという診断であった。

 その死に顔は、やすからそのものであった。

 死亡推定時刻は、前日(2月16日)の午後8時頃。
 妻との電話連絡をしたすぐ後のことだった。

 実は、その前日に近所の檀家の人が同じように風呂場で
 急逝しており、気をつけようねと声をかけた直後の出来事だった。


 享年83歳。


 その大半の人生をこのお寺で送った人生は、まさに医者いらずの
 頑固一徹の人生であった。


 マムシに噛まれても、スズメバチに刺されても、
 ツツガムシに刺されても、決して病院の世話にならなかった。

 「痛い」とか「辛い」とかいう言葉も決して発しない。

 最期の最期まで、自らの生き筋を貫き通した本物の和尚であった。


 16日の晩も、明日は法事があるからと、久しぶりに
 風呂に入り、ひげを剃ろうとしていたようだ。
 風呂の中に剃刀が落ちていた。

 風呂に入って、そのままお迎えが来てしまった。


 きっと、埼玉に無理やり連れて来られるのが、嫌だったのだろう。
 そして、最期までこのお寺を離れたくなかったのだと思う。

 


 天寿を全うした和尚の生きざまは、
 人生の師として私の心に深く刻み込まれている。

 天寿を全うするということは、まさにこのことだろう。
 命が絶えても、人の心の中で永遠に受け継がれていくのだ。

 

 葬儀は21から22日にかけて営まれたが、実に穏やかな
 日和であった。
 

 そして、お骨は納骨まで、お寺からお預かりして
 わが家の埼玉に安置することにした。

 


 それから、この嵐が吹き続いている・・・


 妻の解釈によれば、
 亡き母があの世での父と再会に狂喜乱舞し、騒いでいるのだろう
 とのことである。


 強風に煽られて、壊れたベランダの復旧もある。

 そして、この2年間でねずみの巣と化してしまった
 お寺とその離れの後片付けが山積みである。


 ひとつひとつ片付けていくことにしよう。

 

 師として仰ぐ和尚の生きざまに触れ、
 酒を酌み交わせたことに感謝したい。


 わが心のなかの「自然体」をもう一度再確認する作業が
 しばらく続くことになりそうである。

 

 

 

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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 喪中 ★★★

 <キーワード>
   ・本物の自然体
   ・我慢の人生
   ・合掌
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不思議な縁 [祈り]

 

 先週末、ある方と筑波山に登った。


  師走のあわただしい仕事の合間を縫って、
  たまには山に登って、
  温泉でも入って、
  おいしい蕎麦をいただきながら
  ボーっとしたり、将来の夢を語りませんか?


 そんなお誘いを受けて、即OKと返答した。


 前日の天候とは打って変わり、その日は朝から
 抜けるような青空が広がっていた。

 つくば駅で待ち合わせをして、そこから車で
 ロープウェイの発着駅となっているつつじヶ丘に向かう。

 ロープウェイで女体山へ。
 歩いて5分で筑波山山頂にたどり着く。

 千メートルに満たない山の頂とは思えない360度の
 大パノラマがそこに開けている。

 富士山や箱根、奥多摩の山々が遠望できる。
 その手前には、都心の超高層ビル、
 その右手にはさいたま新都心のビル群。

 左の方に目を転じると、霞ヶ浦や北浦、そして水戸の先には
 大洗の海、太平洋まで見渡せる。


 関東平野を一望できるこの迫力は、必見の価値あり!!


 冷たい風を背に受けて、大きく深呼吸・・・
 しばし無の境地で山頂からの絶景を堪能した。


  ここにくると何か山のエネルギーをもらえる気がします。


 その言葉に嘘はないと思った。


 そこから同じ道筋をたどり、今度は中腹にある老舗ホテルの
 天然温泉の露天風呂に浸かる。

 すでに紅葉はピークを過ぎていたが、落ち葉が舞い落ちて
 湯面に・・・

 空を見上げれば、白い雲が透き通るような青空の中を
 自由気ままに流れていく。


 体だけでなく、心の芯まで温まっていく。

 

 ホテルを後にした我々は、さらに麓に近い隠れ家的蕎麦屋に立寄り、
 その名物頑固蕎麦を美味しくいただく。

  ここの蕎麦は、そんじょそこらの蕎麦とわけが違います。
  コシが違います。最低30回、できれば50回良く噛んで
  蕎麦の味を堪能してくださいよ!

 蕎麦屋の親父が嬉しそうに声をかけてくれた。
 近所の農家の人が野菜を届けてくれている。

  こうして近所の人の親切があってはじめて成り立つ商売です。
  特に、よそ者の私には何よりの励みになるんです。

 さらに、蕎麦湯の濃厚さにもビックリである。

  この蕎麦湯には蕎麦の数倍のルチンが含まれているんです。
  それを飲まなきゃ、バカを見ますよ。

 蕎麦と蕎麦湯で満腹になる。

 たった数時間の出来事だったが、これだけ充実した時間を
 ゆったり過ごせたことに感謝・感激である。

 帰りの車の中で、人との縁について語り合った。

  やはり人間の最大の財産は、人脈ですね。
  パーソナル・キャピタルっていうことですね。

 人とのかかわりの中で、こうしたひと時を共有できることこそ、
 確かな信頼関係が培われていく上で大切なことなのだと実感する。


 つくば駅で心からお礼を申し上げて別れを告げ、駅を後にした。

 

 

 実は、その後日談がある。

 以下は、その後、ご一緒させていただいた方への
 お礼のメールの一部である。


  ○○様

  おかげさまで、私の体に溜まっていた邪気のようなものが、
  スッキリと取り除かれてしまったようです。

  昨日は、久しぶりにぐっすりと熟睡することができ、
  今朝は少々寝坊してしまいました。

  ・・・(中略)・・・

  実はあの後、つくば駅を後にしてから、昔、現場で大変お世話
  になったYさんという方の突然の訃報が舞い込んできました。

  ・・・(中略)・・・

  昨日の筑波山で見た景色は、一生忘れられないものと
  なりそうです。

  と申しますのも、このYさんは数年前まで茨城の現場で
  建設工事に携わっておられ、休みの日によく筑波山に
  登ったことを私に話していただいた方だったのです。

  「筑波山はいい山だ」としきりに山のお誘いを受けていたの
  ですが、ついにご一緒する機会がなかったのです。

  そのYさんが亡くなられた日に、ちょうど私は筑波山の
  山頂に立っていた・・・

  何か、因縁めいたものを感じずにはいられません。
  何か、Yさんからも大きなメッセージをいただいたよう
  にも思います。

  本当に想い出深い一日となったことに感謝しています。

  ありがとうございました。

 

 

 そして、今朝、このメールに対して返信のメールをいただいた。

 

  不思議な因縁ですね。

  私も早くに亡くなられたKさんからカラオケではいつも
  「昴」をリクエストされましたが、その歌詞のなかにあるように、
  さんざめく名も無き星達の一つになっていつも見守ってくれて
  いると感じています。(ご縁があって、常に太陽の光のような
  期待と厳しい愛情を注いでいただき、あるときは北風から
  マントのように守っていただいた、かけがえのない恩師です)

  きっとどこかで見守ってくれているはずです。

 


 そう、千の風となってどこかで見守っているはずである。

 因縁とは、そんなもののような気がする。

 


 今朝、読んだ宇野千代の「天風先生座談」の
 次の言葉が私の心に飛び込んできた。


  お前は生きることばかり考えているけれども、
  生かされている方面の命を、
  どうすれば正しく生かしていけるか、
  それを考えなければ駄目じゃないか。

  生存に対する生命のバイブレーションというものが、
  絶対に必要だということを、お前は考えていない。

  お前はただ、生きよう、生きよう、と努力をしているだけだ。
  それじゃ駄目だ。

  ものの反面だけしか見ていない。
  片っぽうの大事な部分をおろそかにしている。

 

天風先生座談

天風先生座談

  • 作者: 宇野 千代, 中村 天風
  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 1987/06
  • メディア: 文庫

 

 

 

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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 生きることとは? ★★★

 <キーワード>
   ・筑波山・・・日本百名山
   ・心も体も温まる
   ・あ(案)い(因)う(運)え(縁)お(恩)
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天は自ら助くる者を助く [祈り]

 

 娘が大学を辞めた。

 


 といっても、学校がイヤになったとか、
 授業についていけないとかいうのではない。

 自らの意志で、選んだ大学でもあり、
 難関を突破して入学できたことには満足しているという。


 ただ、大学に入学した後、夏休みの活動などを通じて、
 将来のやりたいことが明確になるにつれ、
 いまの大学生活に違和感を感じてしまったのだそうな。

 娘いわく、
 「この大学で4年間も大学生活をのほほーーーんと満喫する
  つもりはない。そんな時間の浪費はもったいない!」
 ということらしい。


 入学して半年余り、大学に退学届けを出すとともに、
 新たな通信教育型の大学に入学するべく、手続きを整えた。

 

 「もったいない!」

 

 と、世間一般の親なら、口にする言葉なのかもしれない。

 確かに、入学して半年あまりで退学届けを出すことは、
 ちょっと早計ではないか、という思いがないわけではなかった。

 もう少しあれこれ学生生活を経験する中で、自分の目標や
 興味も変わってくるのではないか、という思いも過ぎった。

 そんな思惑が錯綜する中で誘導尋問をしようとしたら、
 娘に手厳しく一喝された。


 「大学をいやになって辞めるわけじゃないの。
  やりたいことが明確になったら、それに向かって進みたい。
  そのためには、今の大学にいても意味がない。
  だから、次の手を打っただけ、ただそれだけよ!」


 うーーん、わが子ながら大したものだ、と思う。

 まず、腹が据わっている。
 そして、打算や妥協が一切ない。
 さらに、自分の性格を見事に把握している。


 確かに、いまの大学をそこそこの成績で卒業すれば、それなりに
 学歴というレッテルは獲得できる。

 しかし、それがなんなんだ、と彼女は言いたげである。
 あたしゃ、親の自慢の種のために学校に言っているわけじゃない。
 それよりも自分のやりたいことに向かって邁進する方がよっぽど
 理にかなっている――そう言いたいのだろう。


 わが子ながら、天晴れである。


 二十歳前後の自分の経験と照らし合わせても、
 彼女の意思決定力と行動力には脱帽するばかりである。


 そして、親子の血は争えないなあ、とつくづく思う。

 私自身の自然体的生き方が多少は影響しているかなと思うと、
 かえってその行動力が誇らしくもあり、またうらやましくもある。

 

 今は通信大学の入学手続きの合間を見て、運転免許取得のために
 教習所に通ったり、ボランティア活動に精を出している。


 そんな娘と昨夜は、おでんを肴にあれこれ話をした。

 運転免許をとるのでも、勉強でも、人に教わることよりも、
 自分で納得するまで、徹底的に練習するのが自分流だという。

 確かに、これまで彼女は塾や予備校にも一切通わず、
 ただひたすら学校の予習と復習を繰り返し、あとは
 通信教育のテキストを擦り切れるほど使い込んでいた。

 正直私は、彼女を含めて子供たちに一度も学校の勉強を
 教えたことはない。

 運転免許もできれば、人に教えてもらうのではなく、
 人のいないところで徹底して練習したいとうので、

 「よし、それじゃあ、路上にでたらオレが助手席に載ってやるよ」

 と言ったら、「ノーサンキュー!」とあっさり返事が返ってきた。
 (子離れできない親とは、まさにこのことか・・・トホホ)


 人には見られないように、陰で自分の気が済むまで物事に
 打ち込む――この性分は、まさに親父譲りである。


 人に見られて赤恥をさらしたくないという意識と、
 人には見られなくても神(天)は全てはお見通しだという意識・・・

 外部からの余計な雑音をシャットアウトして
 ものごとに集中することが飛躍的な成果につながるという
 わが家の秘伝を彼女はよく受け継いでいる。

 

 

 「天は自ら助くる者を助く」
  Heaven helps those who help themselves.



 

スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫

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  • 作者: サミュエル スマイルズ
  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2002/03
  • メディア: 文庫

西国立志編

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  • 作者: サミュエル・スマイルズ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1981/01
  • メディア: 文庫

 


 そんな言葉が私の頭に降りてきた。

 


 陰ながら娘の行く末を見守ることにしたい。

 

 


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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 天はすべてお見通し・・・だね ★★★

 <キーワード>
   ・陰の努力は必ず報われる
   ・まだまだ娘にゃ、負けられん!
   ・明日に向かって、顔晴ろう!
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祖母の三回忌 [祈り]

 

 今日はこれから祖母の3回忌にため、
 実家に家族で向かう予定である。

 祖母がなくなってもう2年もたつのかと、
 改めて時の立つ早さに驚いている。

 思えば、2年前の9月、母とのオーストラリア・パースの旅から
 日本に戻ってきた直後、祖母はその98年の人生を閉じたのである。


 今、生きていれば、100歳か・・・


 今日はごくごく身内だけで、供養をして、会食する。


 わが家族が実家において一堂に会するのは、
 実に久しぶりである。

 昨年の一周忌の時は、子供の受験などと重なり、
 結局全員参加というわけに行かなかった。

 また、上さんの方も母親が亡くなったり、父親が衰弱したりで、
 ほとんど私の方の実家には寄っていない状態だった。

 結局、長男がちょくちょく、私と娘がたまに個別で実家に
 立ち寄る程度で、家族揃って実家を訪問することが
 なかったのである。


 これはやはり親不孝なことであり、
 やはり親不孝は良くない。


 先日、北尾吉孝さんの「何のために働くのか」
 という本を読んでいたら、こんな一節が出ていた。

  中国のある皇帝が次の宰相を誰にするかと考えて、「あいつは
  どうだろう」と側近に相談したのです。すると、その側近は
  「あの人は駄目です。すぐ近くに母親が住んでいるのに、この
  三年の間、家を訪ねたという話を聞いたことがありません。親に
  孝を尽くせない者が、どうして君に忠することができましょうか」
  と答えました。それを聞いた皇帝は「なるほど」と納得し、意中の
  人物を宰相にするのをとりやめたということです。

  孝というのは、信頼の基本となるものなのだと思います。

何のために働くのか

何のために働くのか

  • 作者: 北尾 吉孝
  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本


 今日ぐらいは、精いっぱい親孝行をしてきたい。

 


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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 家族の絆 ★★★

 <キーワード>
   ・般若心経を唱えよう
   ・一堂に会することはいいことだ
   ・北尾さんの本、良いです。心に沁みます。
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同期生の訃報 [祈り]

 

 週末は大学の同窓会があり、台風が接近するなか、横浜に出向いた。

 これまで同窓会には何度か足を運んだが、どちらかというと
 消極的な参加にとどまっていた。

 はっきり言えば、同窓会という存在に有難味を感じることも
 なかったし、同窓というだけで深い絆を意識することもなかった。

 しかし、一昨年の恩師の死を契機にその考え方が
 徐々に変わりつつある。

 昨年は、同窓会の総会には足を運ばなかったものの、
 2次会の研究室の飲み会には顔を出した。

 そこで懐かしい面々との再会や
 その後に続くさまざまな仕事上のつながりが
 同窓ということへの関心を高めたようである。

 今年の同窓会では、同期のM君が学会の賞をいただいた
 記念の講演もあり、是非とも参加しようという気にも
 なっていた。

 そのM君が講演の中で、私の仕事を高く評価し、
 みんなの前でわたしの仕事をPRしてくれた。


 なんか恥ずかしいやら嬉しいやら・・・


 M君をはじめ、同窓というキーワードで現在仕事や
 プライベートでのつながりができている。

 数年前までは考えられなかったようなネットワークが
 地下に深く根ざしつつある。

 大学を卒業して今年は25周年に当たる節目の年。
 同窓ということの意味をもう一度かみしめてみたいと思う。


 その同窓会の直前に、同期の訃報が届いた。

 会議中にくも膜下出血で突然倒れ、
 そのまま帰らぬ人になったらしい。

 こんな訃報が届くと、他人事ではいられなくなる。

 もうすぐ50台になる身として、死という影が少しずつ
 身近に迫ってくるような気がしてしまう。


 おそらくこれからの10年が社会に対する仕事での
 貢献という意味で、最もその真価が問われることに
 なる年齢だろう。

 その前に逝ってしまう無念さを思うと眠れなくなる。

 

 

 台風一過のこの深夜にひとりもの想いに耽っている。

 

 

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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 仰げば尊しわが師の恩 ★★★

 <キーワード>
   ・年長者としての責任
   ・大学の行方は・・・
   ・今を生き切る
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春の雨に思う [祈り]

 

 この週末、あるひととずっとメールで議論している。

 議論というところまで、いかないかもしれない。

 組織の体制や自分の置かれた立場なんかをテーマに
 それぞれの考えをぶつけ合っているような状態だ。

 最初のうちのメールは、なんとか相手の考えを変えさせて
 自分の考えに従わせようと躍起になっていた。

 あの手、この手でメールによるやり取りを繰り返したが、
 途中からどうも相手の考えを変えることは無理そうだ
 という思いに至った。


 もはや議論というよりは、砂かけ論の状態といった方がいい。


 こちらが論点と絞ると、相手は全く異なる論点で切り返してくる。


 結局、お互いの言い分を完全に理解することなど、
 永遠にないのではないかとさえ思えてきた。

 同じ部分を見て議論しているのに、
 その議論が全く噛みあわない。


 このもどかしさは、いかんともしがたいものである。


 同じものを見ているようで、実は全く異なるものに
 見えることがあるということだろうか。

 富士山を遠くから見れば、秀麗に見えるが、近くで見れば
 単なるごつごつとした岩の塊にしか見えないようなものだ。

 たぶん、双方に相手の意見に耳を傾けようという意識が
 大きく芽生えないと、議論の歩み寄りは起きないのでは
 ないかと思う。

 北朝鮮の問題やイラン、イラク、あるいはイスラエルと
 パレスチナなどの国際情勢を見ても、いつまでたっても
 平行線・・・

 それが現実というものかもしれない。

 

 ただ、時間の経過や環境の変化がそうしたこう着状態を
 打開するきっかけにはなることはあるようだ。

 先日も、昔は喧嘩ばかりしていた学生時代の友達と再会を
 果たし、大いに昔を懐かしんだ。

 当時、相手の議論に屈したくないという一念で、喧嘩ばかり
 していたのだが、久しぶりに会ったら、そんな昔のことは
 とうに忘れて、お互いのいいところを認め合うような会話に
 なっていた。

 時間の流れが、二人の間のしこりやイガイガをやさしく取り
 除いてくれたようだ。

 そんなこともあるのだから、あまりあせらず、ぼちぼち行く
 ことにするか。

 

 外では、春のやさしい雨が降っている。


 雨降って地固まる・・・


 そんな言葉が自然と浮かんできた。


 もうひとふん張り、メール返信するとことにするか!

 

 

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 <和尚のひとりごと>
   ★★★ 雨だねえ ★★★

 <キーワード>
   ・メールの功罪は?
   ・歩み寄りの気持ちはあるの?
   ・秀麗な富士を仰ごう!
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今井先生を偲ぶ会 [祈り]

冷たい雨の降る、あいにくの土曜日。
そんななか、横浜中華街に出かけてきた。

目的は以前のブログにも書いたが、
「今井五郎先生を偲ぶ会」に出席する
ためである。

生前の先生の人徳なのだろう、
大勢の今井信者が集まった。

今井先生を偲ぶ会.jpg


生前の今井先生を懐かしく思い出すことが
できる楽しい会だった。

この会を今井先生も草葉の陰から覗いていて、
ニヤニヤしておられたのではないかと思う。


会を終えて、われわれ門下生は二次会に繰り出した。

そこでも、先生を懐かしむ声、その支えが無くなった
これからのこと、OBとして同窓会をどのような方向に
導いていったらいいのかなど、忌憚の無い意見が飛び交う、
有意義なものとなった。

今井先生がここにいらしたら、どんなことを
意見されたのだろうか・・・

今井先生の愛弟子として、先生亡き後の方向付けを
しなければならいと改めて感じた。


いま、あの世の先生と酒を酌み交わしたい気分である。



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喪中はがき [祈り]

今年の1月、かみさんの母が亡くなった。昨年に続いて今年も喪中の書状のあて先をワープロからプリントアウトしている。(昨年は祖母がこの世を去った)

本当に1年なんてアッという間だとつくづく思う。

昨年の年末は恩師も急逝してしまったし、今年に入ってからも知人も含め、けっこう身近な人の死が相次いだような気がする。そんなことも影響しているのだろうか、最近は、「死」というものが少し身近な存在になってきたと感じる。ちょっと前までは、死は他人事、遠い別次元の出来事のように感じていたが、今はそうでもない。加齢とともに死との距離感がだんだん近づいてきているというのが実感かもしれない。もっと言えば、生きる延長線上に死という到達点が少し意識できるようになってきたとでもいえるのだろうか。

もちろん、到達点の死という意味は、自殺のような能動的な死でもなければ、事故死のような衝動的な死をイメージしているのではない。あくまでも自然体にそして天寿をまっとうする形で死を迎えるという意味である。ただし、これとて自らの将来を完全に予測することはできないのだから、いまはただただ天寿をまっとうしたいという願望だけなのだが・・・

90歳まで長生きすることができたとしても、人生の折り返し点を過ぎてしまっていることにただただ茫然自失である。しかし、その一方で、人生のピークはいよいよこれからかな、なんて思ったりもしている。人間の心は変幻自在である。今朝は、かなりシュールな気分で目覚めたようだ。

明日死んでしまうかもしれない人生だからこそ、今日を精一杯生き切りたい。そして、輪廻転生はあるにせよ、いまの自分にとっては一度きりの人生。だから、その人生を公明正大に生きたいと思う。せっかくこの世に生を受けたのだから小さな事にくよくよせず、大きく生きて魂を磨きたいものである。そのな思いがふと頭を過ぎった。

ちょっと、頭がボーっとしているかな。よし、朝の散歩、ジョギング&朝風呂でシャキッとするか!?


日野原重明の生き方哲学―よく生き、よく老い、よく病み、よく死ぬ

日野原重明の生き方哲学―よく生き、よく老い、よく病み、よく死ぬ

  • 作者: 日野原 重明
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2006/06/03
  • メディア: 文庫


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踏み台と焼き芋 [祈り]

昨日の夕方、会社の仲間I氏のお父さんが交通事故で急逝した。近所の顔見知りが運転するトラックにはねられて、ほとんど即死だったそうだ。近所の顔なじみが起こした交通事故ということで、なにか割り切れない思いがもやもやと頭を過ぎっている。

そのI氏とは昨日の夕方まで同じ現場で作業をしていたので、あまりにも突然の知らせに、驚愕するとともに人の世のはかなさを改めて思い知らされた。明日は、その葬儀に参列する予定である。こころから、ご冥福をお祈りしたい。

さて、そんな訃報の件もあり、昨夜から来週のスケジュール調整をしたり、病院に出かけて痛風のクリスをもらったりしていたら、あっという間に昼過ぎになってしまった。


外は冷たい雨・・・


本当なら部屋で読書ということになるのだが、どうもそういう気になれない。というのも、このI氏と昨日、この週末にやるDIYのことをあれこれ話をしていたことが頭に残っていたからである。彼も私の勧めに触発されて、家に東屋でもこしらえようかなんて話していたのである。さらに話は発展して「焼き芋」の話に及んだ。焼き芋といえば、普通はサツマイモだが、ジャガイモの焼き芋も美味いということで意見が一致した。彼曰く、「濡れた新聞紙でくるみ、アルミホイルで包んで焚き火の中に放り込めば、サイコー!」と教えてくれたのである。ならばというわけで、やはり午後からDIYをやることにした。今日のテーマは、「踏み台」づくりとその木っ端で焼く、「焼き芋」である。


屋上への階段にアプローチするための踏み台作りを午後から始めた。いつものようにホワイトウッドをのこぎりで刻んで、それをコースレッドで組み立て、簡単に約2時間でできあがった。雨模様なので、オイルはまたの機会に塗ることにしよう。

IMG_5013.jpg

IMG_5014.jpg

ついでに郡上八幡の友人にもらった藍染の暖簾を約10年ぶりにベランダにセット。

IMG_5015.jpg

これだけで、なんとなく風情が出てくる。



次に、この踏み台づくりで余った木の切れ端でI氏の推奨する焼き芋にチャレンジ。

IMG_5018.jpg
 【濡れた新聞で包んだジャガイモをアルミホイルでラップ】

IMG_5020.jpg
 【これを薪ストーブに中に放り込む!】

IMG_5022.jpg

あとは出来上がるのをじっと待つのみ・・・
うまくできてかどうか・・・
それはこれからのお楽しみである。


踏み台づくりをしていて、ふと思ったことがある。「踏み台」も人が使ってこそ価値が出てくるということである。逆に言えば、使う当てのない「踏み台」はなんの役にも立たない。当たり前のようだが、せっかく素晴らしい道具や材料があってもそれを使う人の良し悪しで道具や材料はいかようにでもなってしまうということである。これはDIYに限った話ではない。料理でも、仕事でも、そして企業の経営でも同じである。


使う人(=経営者)の考えが、すべてそこに反映されるのだ。


自分では結構、いい踏み台が出来たと思うのだが、この踏み台を本当に「踏み台」にして、さらにステップアップしていこうと思った次第である。


そして、出来た焼き芋を家族で美味しく味わえることを想像して、これから出来上がりを確認するところである。

 

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<和尚のひとりごと>
  ★★★ 焼き芋、焼けたかな? ★★★

<キーワード>
  ・人生のはなかさ
  ・踏み台になりたい!
  ・焼き芋のような人生か?
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今井先生の追憶(9)―深い縁― [祈り]

今井先生への追憶記も今回が最終回。
ここで一区切りとする。

今井先生と結ばれた不思議な縁――今日のテーマはこれである。


はじめて会ったその日から、恋の花咲くこともある。


なんて、昔そんなテレビをやっていたが、今井先生とはじめて
お会いしたとき、何か不思議な縁を感じた。

それを一言で言えば、「ソウルメイト」――魂の友達という
ことだろうか。。。

 

先生の出会いがきっかけとなり、多くの出会いがあった。

 

そのひとりひとりについていま思い返している。

 

 


身近なところでは、今の同僚。

先生の告別式で10年ぶりの再会した彼とは、今井研究室で
知り合った。その彼が何故か今はふたたび私と一緒に働いている。


学生時代からずっと机をともに並べたM君とは、最近仕事上の
取り引きをさせていただいている。


今井先生の後を引き継いだ谷先生は、私の東大生研時代の仲間。


今の会社の母体も元はといえば、今井先生が作った
研究室に端を発している。


思えば、妻と出会ったのも今井研究室で研究活動に勤しんでいる
ときのこと・・・

 

 

すべてのことは遠いあの世でつながっている。

 

 


そんな思いが深夜ひとりでこうしてパソコンに向っている
私の頭をよぎっていく。

 

 


最後に、もう一度先生の弔辞のときに読み上げさせていただいた
田坂広志さんの本から、「奇跡の一瞬」を引用して
今日のメルマガを締めくくりたい。

自分であり続けるために 流されず、いまを生き切る50のメッセージ

自分であり続けるために 流されず、いまを生き切る50のメッセージ

  • 作者: 田坂 広志
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2005/12/16
  • メディア: 単行本

 

 

 ■奇跡の一瞬

   ある映画のラストシーン。
   65歳で人生の終わりを迎えた主人公が、
   家族や友人たちを前に、呟きます。

    この人生も、振り返れば、一瞬であった。

   人生のはかなさに対する、こうした感懐は、
   映画だけでなく、文学や、手記においても、
   多くの人々によって、語られています。

   我々の人生は、長くとも、100年。
   地球の歴史は46億年。
   宇宙の歴史は137億年。

   その悠久の時間からみるとき、
   文字通り、それは、
   「一瞬」と呼ぶべき時間です。

   しかし、そのことを思うとき、
   我々は、一つの真実に気がつきます。

   この宇宙の片隅の、この地球の片隅で、
   一人の人間が、一人の人間と出会うとき、

   それは、その「一瞬」と「一瞬」が重なる
   「奇跡」の一瞬。

   その真実に、気がつくのです。

   そして、そのとき、我々は、
   初めて、知るのです。

   「深い縁」

   その言葉の、
   本当の意味を、知るのです。

 

 

 

 

 合掌

 

 

 

 

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<和尚のひとりごと>
  ★★★ 多くの気づきをありがとうございます ★★★

<キーワード>
  ・ソウルメイト
  ・奇跡の一瞬
  ・深い縁
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